モンテッソーリ教育がにわかに注目されたのは、藤井聡太棋士がマスコミに取り上げられた2017年ごろではなかったでしょうか。
「天才棋士を育んだ幼児教育「モンテッソーリ教育」はどのような幼児教育なのか。」と、非常に注目された事を覚えています。
しかし、モンテッソーリ教育を実践する園が爆発的に増えたということもなく、モンテッソーリ教育というワードの認知度は高まりましたが、いまだマイナーな存在です。
「モンテッソーリ教育なんて流行らないし、もう古いんじゃない?」と言われる方もいらっしゃるみたいです。
そもそもモンテッソーリ教育の理論が確立したのが1907年ですから、今から1世紀以上も昔の教育方法ということになります。
そんな昔のメソッドが現代の幼児教育にも取り入れられているのは、どのようなメリットがあるからなのでしょうか。
また、モンテッソーリ教育の他に海外でメジャーになった教育方法は、どんなものがあるのでしょうか。
今回は、ちょっとマニアックな海外の教育理論と、いまいち日本でモンテッソーリが盛り上がらない理由とデメリットについて、いろいろと調べてみたいと思います。
モンテッソーリを深掘り!アメリカでは「社会的に貢献する人物」を育てるメソッド
まずは、本題のモンテッソーリ理論について深堀りしていきたいと思います。
モンテッソーリ教育とは、先にも書いたように100年以上も昔に、マリア・モンテッソーリという女性の医学博士によって提唱されたメソッドです。
これが現代でも通用する最大の理由は、「人間の発達」という科学的なメカニズムに基づいているからなんですね。
現在、保育士や幼稚園教諭、小学校教諭などを目指す学生さんたちが、必ず学ぶ内容ですし、教科書には必ず『マリア・モンテッソーリのモンテッソーリ教育』は掲載されています。
古くからある、優れたメソッドであることがわかりますよね。
モンテッソーリ教育を語るときに、重要になるワードは3つあります。
- おしごと
- 敏感期
- 縦割り教育
です。
子供の活動は「遊び」だけではなく、子供は「仕事」をする、と捉えることがモンテッソーリ教育の最大のポイントです。
自分の仕事に責任をもつ、他人を尊重する、ルールを守ったうえでの自発的な行動、など社会に出た際に人間として求められる資質は、この「おしごと」を通して育まれています。
また、子供が発達するうえで様々な段階があり、各段階でどんな能力を獲得しようとするのか、どんなことを学ぼうとするのか、が変わってくるのです。
それらの発達の旬のことを「敏感期」と呼び、敏感期に最も適した「おしごと」=課題・ミッションをこなすことが、発達を促す最大の要因だと、モンテッソーリ教育では考えられています。
そして、異年齢が同じクラスに在籍する縦割り教育も大きな特徴です。
子供の観察眼が養われ、見て学ぶことや、自らの役割を認識し、自然と自分より経験の浅いものを手助けする行動が身につきます。
実際に欧米では、子供の自主性、自立心、知的好奇心を育み、社会的に貢献する人物となるためのメソッドとして、24歳までの人間の発達を段階別にわけて実践されています。
「あれ、モンテッソーリって幼児教育ではないの?」と思った方が多いのではないでしょうか。
そのように捉えているのは実は日本だけなのです。
海外ではモンテッソーリの小学校や中学校があり、継続してモンテッソーリ教育を受けることができますが、日本だけが幼児教育に限定された捉え方をしているのです。
特に、小学校のお受験対策などの早期教育、英才教育として注目される点は、完全に間違った捉え方をしているとしか言いようがありません。
日本でモンテッソーリ教育が継続して受けられる小学校はたった3つしかなく、いずれも認可外、フリースクールという位置づけです。
せっかく6歳までモンテッソーリで学んできても、日本の義務教育課程にあがると、まったく異なる教育指針・制度のなかで一からやり直さなければならない、というのが現実です。
この点は、次の項でもご紹介する、さまざまな優れた教育法にも同じことが言えるのです。
レッジョ・エミリアやプロジェクト・メソッド 海外の教育法が日本で普及しないのはなぜ?
さて、モンテッソーリ教育と同じく、教育者を目指す学生さんたちが必ず学ぶ教育法で
近年注目度があがっている教育方法をご紹介したいと思います。
- イタリアのレッジョ・エミリア アプローチ
- アメリカのプロジェクト・メソッド
のふたつの教育メソッドです。
イタリアのレッジョ・エミリア アプローチとは?芸術家が子供達の豊かな表現活動をバックアップ
まず、イタリアのレッジョ・エミリアアプローチというのは、メソッドだけを指すのではなく、レッジョ・エミリア市という都市が公的に展開している保育システムも含めて「レッジョ・エミリア アプローチ」と呼んでいます。
どういうこと?と不思議に思うかもしれません。
イタリアは昔から公立の保育施設が創設されてこなかった、という歴史的文化的背景があります。
そのなかで、レッジョ・エミリア市という都市が、市全体をあげて保育事業に取り組もう!と動き出し、先進的な保育の実践を行い、さらにそれを支える行政システムをつくりだしたのです。
特徴的な点は、
- アトリエリスタという専門の芸術家が常駐していること。
- 園長がいないこと。
- プロジェクトという、テーマに沿った探求活動を行うこと。
などが挙げられます。
芸術家が常駐して、子供達の豊かな表現活動をバックアップしているなんて、イタリアらしい素敵なシステムです。
このシステムを参考にして、日本でも保育園に芸術士を定期的に派遣する活動を行うNPO団体や地方都市も出てきているんですよ。
また、園長がいない分、保護者が積極的に運営に関わる点も非常に特徴的です。
そして、プロジェクトというテーマ活動も、いまや世界中に広まっています。
日本の公立小学校でもようやく総合的な学習の時間に取り入れられるようになりました。
アメリカのプロジェクト・メソッド 子どもたちの自主性と経験よる学びのメソッド
そして、このテーマに沿った探求活動を全面におしだしたのが、
アメリカのキルトパックという人が考案した「プロジェクト・メソッド」という教育方法です。
実にアメリカらしい考え方だなと感じるのですが、
子供が自発的に活動し、経験をしたことをもとに学びは深められるべきだ、という考え方ですね。
まず、子供達は目的を設定します。
そして自分たちでその目的を達成するための計画を立てます。
そしていよいよそれを実行に移します。
その後、その目的が達成されたのか、失敗したのか、どんなことを学んだのかを振り返る、という学習方法です。
子供の興味・関心に基づいてテーマを設定して長期的に活動するこのメソッドは、
日本の幼児教育の現場でも大正期から積極的に取り入れられているようです。
海外の優れた教育メソッドが日本で普及・定着しない理由
2つの海外で広まった教育メソッドをご紹介しましたが、これらが日本でなぜメジャーな存在になって定着しないのでしょうか。
ひとつの原因は、歴史的文化的な背景が違うからです。
これらの教育方法は、その国の体制やそれまでの文化に影響を受けて生み出されています。
海外のすぐれたメソッドを導入するのは素晴らしいことだと思います。
しかし、なぜそのメソッドが生まれたのか、という背景を理解しないまま導入するのは、
流行にのろうと形だけマネしている事と同じですよね。
定着しない原因のひとつはこれだと思われます。
それから、もうひとつの原因は、小学校義務教育への連携がはかれていない点です。
モンテッソーリ最大のデメリットは、小学校義務教育への連携がないこと。
昨今になってようやく、幼・保・小連携の必要性を説く文書が、文部科学省と厚生労働省の連盟で出されています。
これは、どういうことかといいますと、少しずつ説明しましょう。
まず、前提として、これらの3つの施設は管轄がちがい、小学校と幼稚園は文部科学省、保育園は厚生労働省の管轄でした。
それぞれがそれぞれに指針を出して、つい最近までてやってきたわけですが、「それじゃあおかしいよね?」という風潮になってきたのが平成の後半です。
待機児童の問題が非常に深刻になったことをきっかけに、まずは幼保連携の動きがありました。
幼稚園と保育園のどちらの良い機能も持ち合わせた、「幼保連携型認定こども園」という新しい施設と新しいシステムができました。
これによって、幼稚園と保育園の垣根が事実上はなくなったということになります。(事実上は、とことわっておきます)
そこまではOKでしょうか。
そして次に、幼稚園や保育園において、遊びを中心とした学びを経験してきた子供達が、小学校にあがったとき、急に学習指導要領にそった教科の学習に適応しなければなりません。
実はスムーズに環境の変化に適応できていない子供、というのもかなり多数いることがわかってきました。
そこでようやく、小学校の学びへとつなげるための各施設の相互理解や協力・交流が大事ではないだろうか、という動きに遅ればせながらなっていくわけです。
このような流れになったのも、ここ10年~15年ぐらいのことです。
さて、話を戻しましょう。
海外から入ってきた教育方法は、日本の義務教育で長年行ってきた教育方法とまるで違います。
いまでこそようやく、教科の壁を越えた総合的な学習などが取り入れられてきていますが、基本的には時間割に沿って、みんな一斉に教科の学習をする、というスタイルです。
モンテッソーリ教育はどのような学び方だったでしょうか。
時間割というものはなく、個人個人が自分の興味関心に沿って学ぶものを選択して取り組む。
そのような学習のスタイルですよね。
どう頑張っても、日本の義務教育がモンテッソーリのような自発的に学ぶスタイルには変わらないわけです。
そうすると、モンテッソーリ教育で学んできた子は、小学校にあがる際に学びのスタイルがガラッと変わるために環境に適応できない、という事態が起こります。
モンテッソーリ教育においても「小1の壁」が存在するのです。
その分厚い壁が目に見えているからこそ、モンテッソーリが優れた教育方法だとしても日本ではあまり普及しないのです。
まとめ
今回はモンテッソーリを含め、海外から入ってきたいろいろな教育方法のお話で、
ちょっと難しくてマニアックだったかもしれません。
やはり、教育というのは、文化や歴史あっての教育なんだな、という感じがしますよね。
モンテッソーリ教育がなぜマイナーなままなのかも、おわかりいただけたのではないでしょうか。
コロナ過を経て、オンライン授業なども普及したおかげで「学び」の形も多様化したような気がします。
日本にもフリースクールがたくさんあり、多様な学びの方法に適応した場も増えてきているように思いますし、生涯学習という言葉も少しずつ定着しつつあるように思います。
お子さんに、もしくはご自身に、ピッタリの学びのスタイルが見つかるとよいですね。