はじめまして。三児の母、みにみにらです。
モンテッソーリは、「こどもの自立を促すとか「こどもの集中力を高める」とか、
なんだかんだと難しい言葉はありますが、実際わたしはどうでもいいんです。
ただただ、子供と毎日楽しく過ごしていきたい!
そんな想いを持ちながら、モンテッソーリ教育についての記事をいくつか書いています。
わたしは保育士でもなければ、モンテッソーリ教師でもなんでもないのです。
モンテッソーリ教育を知って、目から鱗状態になり、自身の子育ての中でゆる~く実践していくうちに、さらにモンテッソーリが大好きになり、子供達とモンテッソーリ流生活を楽しんでいます。
子供たちのイタズラや困った行動が出てきたら、それこそモンテッソーリの出番です!
DIYや工作好きもあいまって、わたしは手作りの教具もたくさん作りました。
子供たちが夢中で「おしごと」に取り組む様子を楽しんできました。
真面目なお母さんほど、子育てではこうしなきゃいけない、親としてこうすべきだ
なんて考えて神経質に突き詰めてしまいがちですが、
私は楽観的な性格で、型にはまるのも縛られるのも大嫌いなんです。
モンテッソーリメソッドを実践してきた、と言っても
できる範囲で、無理せず、都合よくアレンジしまくりましたよ。
ゆるゆるとモンテッソーリを実践してきたおかげで、驚くほど子育てが楽しめるようになりました。
モンテッソーリメソッドを元にした『みにみにら流』と化してしまっていると思うのですが、私は全然気にしません。
だってそれで毎日が楽しくて子供たちも自分も笑顔になれるなら、それが一番ですから。
ここでは、私がモンテッソーリと出会ったきっかけと、どのように子育てに取り入れてきたか、
現在8歳・6歳・4歳になった子どもたちはどのように成長したか、についてお話します!
子育ての迷いからモンテッソーリ教育に出会う
わたしがモンテッソーリ教育を知ったのは、まだ第一子が産まれて間もない頃でした。
初めての子育てで右も左もわからず、ネットにはいろんな子育てについての情報が溢れていて、一体なにが正しいのかわかりませんでした。
当時の職場には、子育て中の女性がおらずリアルな相談をする相手もいなかったので、自分の子育てにまったく自信が持てませんでした。
そこでわたしは、こどもの発達や保育の事についてアカデミックな理論を学べば、何を根拠にいろんな子育て情報が出ているのか判断できるし、自分のやることに自信が持てるんじゃないか、という考えに達したのです。
育児休暇を利用して、通信制の大学で興味のある幼児教育や発達心理学などを勉強しはじめました。
そうしたなかで、シュタイナー教育やモンテッソーリ教育、レッジョ・エミリアといった有名な幼児教育方法を知り、それぞれどのような教育方法などを調べていくうちに、興味が深まっていきました。
特にモンテッソーリ教育は、日常生活の訓練を大切にしている点で、自分の毎日の子育てで試してみやすかったのです。
言い方は悪いですが、第一子である私の長女は、私の良き実験台であり観察対象だったんです。
(モンテッソーリで大事なのは、子どもを観察することですよね。)
ひとつひとつが教科書通り、と言いますか、長女はモンテッソーリの仮説どおりの行動を見せたので私は面白くてたまらなかったのを覚えています。
一発でできた!モンテッソーリ教示の効果にびっくり。子育てに前向きに。
特に、教示をする際のポイントです。
例えばボタンがけを教える時に、言葉で説明せずに「見ててね」と言って動作をスーパースローモーションで無言で見せる、という教示の仕方の効果には驚きを隠せませんでした。
だって、何度教えてもうまくできなかった事が、一発でできるようになるんですから。
いかに、言葉での説明が子供の理解の邪魔をしていたかということが身に沁みてわかりました。
教示の最中、子供は集中して食い入るように見るんですよね。
ほんとにこれもその通りだ、ということが長女への実験の数々で証明されたんです。
おかげで自分のなかの迷いがなくなり、自分はこうやって子育てしよう!という一本の筋が通ったわけなんです。
子育てに前向きになれた瞬間でした。
DIYや工作好きが功を奏したモンテッソーリの手作り教具。
もうひとつ、モンテッソーリ教育にはまったポイントは、その教具の面白さと自由さでした。
ですが、実際に私が正規に購入した教具は、実は一個もないんです。
私の住む自治体にある大きな子育て支援センターには、モンテッソーリ教具がいくつかありました。
知育玩具と言われる木製の玩具のなかには、モンテッソーリ教育がもとになって作られたものが数多くありました。
そういったものを、ずうずうしく無料で触れ、エッセンスだけおさえたら、家庭では手作りしちゃうのが、みにみにら流です。
子供の頃からわたしは工作が大好きで、現在でも、ものづくりの仕事をしているので、似たような教具を工夫し、手作りする作業も私にとって楽しい時間なのです。
子供が行うその「おしごと」がどういう動作を練習するためのものか、という部分を押さえていれば、特に教具とまったく同じものでなくても構わない、という考えです。
「おしごと」をアレンジすればいくらでも新しい教具が生まれます。
先にも書いたように、わたしはこうでなきゃ、ああでなきゃ、という性格を全然もちあわせてないのです。
その時々で、こどもの敏感期に気づけたら、「なんだこれ?」という不思議な教具をたくさん手作りしました。
特に、大人にとってはやってほしくないイタズラなどは、敏感期からくることを知った時は、
「子供の頃、やっちゃダメってお母さんに言われたけど、本当はやりたかったな~」と古い記憶がよみがえってくるほどでした。
自分の子供には思い切りやらせてあげよう!
そう思ったら、いかに自分も楽して困らない(後の掃除など)、さらに子供も満足する環境を用意できるか、という工夫をすることも非常に楽しくなりました。
手元にないものは、たいがい手作りしました。
そうやってなんでも作れる状況が、モンテッソーリをますます好きになる要因だったのだろうと思います。
モンテッソーリ流で成長する我が子たちと子育ての楽しさ
そうやってモンテッソーリ流を試す実験台のように育てられた我が家の三人の子供たちは、
現在8歳・6歳・4歳に成長しました。
けっしてお利口さんとは言い難い三人ですし、特になにかに秀でているわけでもありません。
宿題をせずに、なにやら他の事ばかりに興じていたり、きょうだい喧嘩をして手が出ることもあります。
ごくごく普通の子供達です。
でも、そんな子供達と過ごす毎日が楽しくてたまりません。
モンテッソーリ教育を取り入れて良かったな~と思えることは、
兎にも角にも母親である私が笑顔でどっしりと構えられるようになったことです。
子供のイタズラにうろたえたり、口うるさく注意したりする必要がなくなったからです。
うちの子どもたちはみんな、水たまりに入って泥だらけになる遊びや、絵の具を手や足や体に塗りたくる遊びをしても、叱られないことを知っています。
ですから、じゅうぶんに理解力のある上の子達などは、塗りたくる遊びをしたい時にはしっかり作業着を着て、「これで文句ないでしょ。」と言わんばかりに遊びはじめます。
感覚の敏感期はとうに過ぎた子供達ですが、懐かしむように絵の具の感触や泥の感触を確かめることがよくあります。
昔、敏感期のときに夢中で取り組んだおしごとを、久しぶりに取り組むと、なんだか落ち着くみたいです。
自由にのびのび動く子供に成長!自分たちの力でフリーマーケットを出店
子供達に特徴的なのは、自分のやりたいことを見つけるのが得意で、取り組み始めると集中し、さらに発展させることが上手になったことかもしれません。
なにか自分の取り組みたいものが出てきたときは、
「これこれ、こういう事がやりたい。これとこれが必要だから準備してほしい。」と申告しに来ます。
ちょうど今は、自分たちの使わなくなったおもちゃや絵本をガレージに並べて、『激安フリーマーケット』を三人で出店しています。
看板を作ったり、ディスプレイを工夫したり、町内にチラシを配ったりするなかで、
SDGsについて調べたり、集客や宣伝について自分たちで学んでいるようです。
売り上げ金を集計することでお金のことを勉強したり、偶然自然災害のことを知って、
売上金を災害義援金に募金してみたり。
とにかく思いついたことにどんどんチャレンジしていくようになりました。
これが家庭でモンテッソーリ教育を実践したからかどうかは定かではありませんが、
親の方も、子供達がやりたいことを思うようにやらせるスタイルが身についているので、何をはじめようが動じることはありません。
「今度はこんな事を言ってきたぞ。面白そうだからしばらく様子をみてみよう。」
といった具合です。
子供のほうも、禁止されたり横やりを入れられることがない事を知っているので、
自由にのびのびと活動し、発想力を膨らませているように感じます。
両者に共通していえるのは、その状況を思いきり楽しんでいる点です。
これから先、我が子たちは成長し、反抗期や思春期やいろいろなものにぶちあたっていくのでしょう。
私は、モンテッソーリで培った動じない精神で、極力黙って遠目で観察することでサポートしていけたらな、と思っています。